言葉との付き合い方
本当はAと感じていたのに
今までの出来事
これからの予測
などなど
私たちは言葉を手にしたから
記憶とかそういうものを基に現在の状況を考えて
Aという気持ちがどこかいってしまう
そんなことがあるように思える
いろんなことを考えると
AじゃなくてBかもしれないって思ったり
ましてやAという気持ちが一般的にマイナス要素が強ければなおさらBだろうってことを理論で埋めていく気がする
でも
それで導いたBって感情はその出来事を昇華出来る?
Aって感情に気づかずにBにたどり着いていたならば、それはAという感情が元々なかったということでいいの?
元々感じていたはずのもの
いつのまにか蓋をしてしまう
そんなことが歳を重ねていくからこそできる能力なのかもしれない
でもなんだかそれってちょっと寂しいし、なんだか不自然な気がする
だから
自分の声を聞こう
って言葉がいろんな場所で聞こえるそんな時代になってきたんだよね
自分の声なんて聞かなくても分かる
そんな自然がなくなってきて
自分でさえも自分のことが分からなくなって
やっぱりなんだか寂しい
言葉でなにかを発信する時代になっているけど
自然な部分が言葉でかき消されないように
そんな言葉との付き合い方をしたい